2010年02月07日
「ミラロン」
「貴方の未来、すっきり綺麗にしませんか?」
1枚のビラが、僕の人生を根底から変えてしまった。
男は言った。
「未来を変えましょう」
雪の降る寒い午後だった。
「幸せな未来、築きましょう」
馴染みの喫茶店のドアを丁度押そうとした時だった。
「綺麗な世界に、住みたいと思いませんか?」
何事だと思わず振り向いた僕に、男はこう言った。
「ミラロン、いかがですか?」
気がつくと、ビラを1枚受け取っていた。一瞬ビラに目を落とし顔を上げると、そこには誰も居なかった。
「いらっしゃいませ」
喫茶店で腰を下ろし、改めてビラを見やった。
ビラは丁度A4くらいの大きさで、そこにはひっそりとURLが書かれていた。ちょっと不気味さを覚えたけれど、注文のホットコーヒーが来るまでの暇つぶしに・・・と手持ちのノートパソコンでサイトを開いた。回線が少し混んでいるのかちょっともたつきながらパソコンがページを表示した。
「ミラロン」
タイトルを復唱する。この、どこかのうがい薬のような単語の意味は何なのだろうか?
「ミラロン・・・貴方の未来をチリ一つない美しい世界に致します」
思わず苦笑する。新手の宗教勧誘だったか、肩をすくめながら続きに目を遣った。
「ミラロンつまり未来ロンダリングとは、貴方のこれからを前もって今ぴかぴかにしてしまうことです。なにぶんいきなりのことですから、恐らく貴方は怪訝な表情を浮かべているに違いありません。仕方のないことです」
当然だろ?何が未来ロンダリングだよ。
「そこで、一つの証拠をお見せしましょう。すぐ下にある動画ボタンをクリックなさってください、必ず貴方を納得させて見せます」
はいはい、ため息さえつきながら僕はクリックした。
動画が始まった。
「え?」
そこには僕が居た。その視線の先には・・・同僚が立っていた。事務の岡本さんだ。とびきり美人ってわけではないけれど、愛嬌があってかわいらしくて、はっきり言ってしまえばちょっと憧れている女性だ。
「ねぇ」
その岡本さんが言った。よく見ると彼女は普段のくすんだ制服がウソのようにお洒落していた。飲み会の帰りだろうか、ネオンの灯りが後ろでにじんでちかちかしている。ほんのり紅を引いた彼女の愛らしい唇が開く。
「結婚しよっ」
がたっ!
びくっとして僕は立ち上がった。膝とテーブルが衝突して目から涙が飛び出した。
「何だ?コレ!」
周りの事も忘れ呟いた。
「なぜ僕が・・・岡本さんが映ってるんだ?なんなんだっこの話は!どういうことなんだっ!」
頭をフルスピードで回転させる、「証拠」として幸福な未来を見せてやるという敵の目論見は分かる、分かるがコレは何なのだ?いくら企み目論んだ所で、僕と岡本さんをこんな形でツーショットで映すことなんて出来るはずがない!ないのに現実に動画が存在する。存在して今、画面上じゃ二人が抱擁しあっている、何なんだコレは何なんだコレは!
「お分かりいただけましたか?」
画面が暗転すると男の声が語りかけてきた。
「お分かりいただけたなら、登録をお願いします」
ぽっと入力画面が浮かぶ。僕はよろよろと椅子に座り込むと、怪訝な顔でカップを差し出すマスターにも気づかずに夢遊病のようにキーボードを叩いていたそうだ。
何か、特別な区切りがあったわけではない。
かちっとマウスをクリックしても、いつもどおりの喫茶店でいつものホットコーヒーが手元にあるままだ。
やっぱりタチの悪い悪戯だったかと、すっかりぬるくなったコーヒーをさっと啜って会計に立った記憶がある。
「いつもありがとうございます」
こうマスターに言われたときもなんとも思わなかった。
「お客さん、こないだ足元に落ちてたケータイ拾ってくれてたでしょ?」
「ああ、そういや・・・」
例によって仕事の合間にこの店に立ち寄った時、座席の真下に落ちていた控えめなウサギのストラップつきケータイをたまたま拾っていたのだった。
「持ち主の方、やっと見つかったんですよ」
「そうですか、そいつはよかった」
そう感慨は沸かなかったが、何となくいいことしたなと満足感を覚えた。
「あの~言付け承ってるので良かったら聴いていただくわけにはいかないでしょうか?」
いいですよ、と頷いたはずだ。
仕事帰り、是非お礼をと言うことで指定されたお店の前に現れたのは、愛嬌があって唇のほんのり引いた紅が印象的な女性だった。
「岡本さん・・・」
動画と同じ服装だった。
それからはとんとん拍子だった。
あれから何ヶ月もしないうちに動画のシーンを生で体験した。
地味だけどほんわかした結婚式も手作りで挙げられた。
それだけでなく不思議なことに、日々の現実から失敗が減っていった。
正確に言うと失敗が全て成功につながると言い替えた方がいいのか。
どんな失敗も、親友との過去の悔やみきれない仲違いも、明るい未来へと昇華して行くのだ。
全てがそうだ。調子に乗って買ったボロ株での大損まで何倍もの幸せとなって帰ってきた。
やがて、失敗さえ成功に思えてきた。
全てが成功なのだ。
なにがあっても案ずることなどない。
大手を振って・・・大手を振って・・・全ては幸せだ全ては幸せなのだ。
今思えば、現実の足音が遠ざかるのをかすかに聴いたような。
そして僕は今、一人屋上で震えている。
とうとう耐えられなくなった。一抹の影さえ存在しない世界。振り向いてもしゃがんでも、晴れても曇っても、僕の人生には黒がない。世界のあらゆる現実は僕の息遣いに触れた途端闇を掻き消してしまう。全ての悲運が美談になっていく。妻の、子供の、同僚の、見知らぬ他人の弾けるような至福の笑みが僕を包む。
息を切らし足をもつらせ転んだ僕の髪を引っつかんでこれでもかと追い立てるように、チリ一つない未来が僕を責める。
もう限界だ!
えいっと僕は、ビルの床を強く蹴った。
落下と同時に奇妙な浮遊感が全身に纏わりついた。
「これさえもロンダリングされたなら・・・」
チラリと浮かんだ予感を掻き消すように意識が暗転した。
1枚のビラが、僕の人生を根底から変えてしまった。
男は言った。
「未来を変えましょう」
雪の降る寒い午後だった。
「幸せな未来、築きましょう」
馴染みの喫茶店のドアを丁度押そうとした時だった。
「綺麗な世界に、住みたいと思いませんか?」
何事だと思わず振り向いた僕に、男はこう言った。
「ミラロン、いかがですか?」
気がつくと、ビラを1枚受け取っていた。一瞬ビラに目を落とし顔を上げると、そこには誰も居なかった。
「いらっしゃいませ」
喫茶店で腰を下ろし、改めてビラを見やった。
ビラは丁度A4くらいの大きさで、そこにはひっそりとURLが書かれていた。ちょっと不気味さを覚えたけれど、注文のホットコーヒーが来るまでの暇つぶしに・・・と手持ちのノートパソコンでサイトを開いた。回線が少し混んでいるのかちょっともたつきながらパソコンがページを表示した。
「ミラロン」
タイトルを復唱する。この、どこかのうがい薬のような単語の意味は何なのだろうか?
「ミラロン・・・貴方の未来をチリ一つない美しい世界に致します」
思わず苦笑する。新手の宗教勧誘だったか、肩をすくめながら続きに目を遣った。
「ミラロンつまり未来ロンダリングとは、貴方のこれからを前もって今ぴかぴかにしてしまうことです。なにぶんいきなりのことですから、恐らく貴方は怪訝な表情を浮かべているに違いありません。仕方のないことです」
当然だろ?何が未来ロンダリングだよ。
「そこで、一つの証拠をお見せしましょう。すぐ下にある動画ボタンをクリックなさってください、必ず貴方を納得させて見せます」
はいはい、ため息さえつきながら僕はクリックした。
動画が始まった。
「え?」
そこには僕が居た。その視線の先には・・・同僚が立っていた。事務の岡本さんだ。とびきり美人ってわけではないけれど、愛嬌があってかわいらしくて、はっきり言ってしまえばちょっと憧れている女性だ。
「ねぇ」
その岡本さんが言った。よく見ると彼女は普段のくすんだ制服がウソのようにお洒落していた。飲み会の帰りだろうか、ネオンの灯りが後ろでにじんでちかちかしている。ほんのり紅を引いた彼女の愛らしい唇が開く。
「結婚しよっ」
がたっ!
びくっとして僕は立ち上がった。膝とテーブルが衝突して目から涙が飛び出した。
「何だ?コレ!」
周りの事も忘れ呟いた。
「なぜ僕が・・・岡本さんが映ってるんだ?なんなんだっこの話は!どういうことなんだっ!」
頭をフルスピードで回転させる、「証拠」として幸福な未来を見せてやるという敵の目論見は分かる、分かるがコレは何なのだ?いくら企み目論んだ所で、僕と岡本さんをこんな形でツーショットで映すことなんて出来るはずがない!ないのに現実に動画が存在する。存在して今、画面上じゃ二人が抱擁しあっている、何なんだコレは何なんだコレは!
「お分かりいただけましたか?」
画面が暗転すると男の声が語りかけてきた。
「お分かりいただけたなら、登録をお願いします」
ぽっと入力画面が浮かぶ。僕はよろよろと椅子に座り込むと、怪訝な顔でカップを差し出すマスターにも気づかずに夢遊病のようにキーボードを叩いていたそうだ。
何か、特別な区切りがあったわけではない。
かちっとマウスをクリックしても、いつもどおりの喫茶店でいつものホットコーヒーが手元にあるままだ。
やっぱりタチの悪い悪戯だったかと、すっかりぬるくなったコーヒーをさっと啜って会計に立った記憶がある。
「いつもありがとうございます」
こうマスターに言われたときもなんとも思わなかった。
「お客さん、こないだ足元に落ちてたケータイ拾ってくれてたでしょ?」
「ああ、そういや・・・」
例によって仕事の合間にこの店に立ち寄った時、座席の真下に落ちていた控えめなウサギのストラップつきケータイをたまたま拾っていたのだった。
「持ち主の方、やっと見つかったんですよ」
「そうですか、そいつはよかった」
そう感慨は沸かなかったが、何となくいいことしたなと満足感を覚えた。
「あの~言付け承ってるので良かったら聴いていただくわけにはいかないでしょうか?」
いいですよ、と頷いたはずだ。
仕事帰り、是非お礼をと言うことで指定されたお店の前に現れたのは、愛嬌があって唇のほんのり引いた紅が印象的な女性だった。
「岡本さん・・・」
動画と同じ服装だった。
それからはとんとん拍子だった。
あれから何ヶ月もしないうちに動画のシーンを生で体験した。
地味だけどほんわかした結婚式も手作りで挙げられた。
それだけでなく不思議なことに、日々の現実から失敗が減っていった。
正確に言うと失敗が全て成功につながると言い替えた方がいいのか。
どんな失敗も、親友との過去の悔やみきれない仲違いも、明るい未来へと昇華して行くのだ。
全てがそうだ。調子に乗って買ったボロ株での大損まで何倍もの幸せとなって帰ってきた。
やがて、失敗さえ成功に思えてきた。
全てが成功なのだ。
なにがあっても案ずることなどない。
大手を振って・・・大手を振って・・・全ては幸せだ全ては幸せなのだ。
今思えば、現実の足音が遠ざかるのをかすかに聴いたような。
そして僕は今、一人屋上で震えている。
とうとう耐えられなくなった。一抹の影さえ存在しない世界。振り向いてもしゃがんでも、晴れても曇っても、僕の人生には黒がない。世界のあらゆる現実は僕の息遣いに触れた途端闇を掻き消してしまう。全ての悲運が美談になっていく。妻の、子供の、同僚の、見知らぬ他人の弾けるような至福の笑みが僕を包む。
息を切らし足をもつらせ転んだ僕の髪を引っつかんでこれでもかと追い立てるように、チリ一つない未来が僕を責める。
もう限界だ!
えいっと僕は、ビルの床を強く蹴った。
落下と同時に奇妙な浮遊感が全身に纏わりついた。
「これさえもロンダリングされたなら・・・」
チラリと浮かんだ予感を掻き消すように意識が暗転した。
・・・と、久々の小説です。
某幹事長の「マネーロンダリング」報道にヒントを得ました。
某幹事長の「マネーロンダリング」報道にヒントを得ました。
Posted by まさる(;^_^A at 21:41│Comments(0)
│小説